癒しのエネルギーによる祈り療法

身体障害者、知的障害者の方、その親族の方へ。私の祈り療法を試してみませんか。祈りの効果により、身体の調子が良くなり、身体の悪い症状が緩和されるというものです。私の祈り療法は無料です。

なぜ、祈り療法を受ける人が匿名だけで癒しのエネルギーが入るのか。

 


 私のブログ見て「匿名」と「祈り療法をお願いします」と書いただけで私が祈りをする時、祈りの対象者の身体に神から癒しのエネルギーが入ることについて、でたらめだとか、嘘だ、頭が可笑しいのではないか、と思わている人がいるかもしれません。


 人間の姿・形に実体性はないのです。昔から「人は外見から判断するが、神は中身を見て判断する」と言われていますが、その中身だけで祈りをすれば姿・形、名前、住所などがわからなくても神から癒しのエネルギーが祈りの対象者に送られるのです。


 中身とはどういうものか、人がやっていること、現在そうなっている状態のデータをいうのです。祈り療法を匿名で申し込むということは「人がやっていること」であり、神には誰だか分っているのです。


★現在、2018年十月三十一日から匿名、ID、ハンドルネームによるコメント、メールの祈り療法の申し込みはやっておりません。代わりに私のブログに載っている神様の画像を通して神に祈ってもらい、その後の指定された日時に「私のブログに載っている神様の画像を通して、祈りをした方の祈りがかなえられるよう」に私が祈りをしています。このことは祈り療法を匿名で申し込むのと同じことであり、私のブログの神様の画像を通して神に祈ってもらうことは「人がやっていること」であり、神には誰だか分っているのです。


 私は匿名で祈り療法を受け付けていますが、私には匿名で祈り療法を受ける人の姿・形、名前、生年月日、性別は分かりませんが、神は匿名の人が誰だか分かっているのであり、私が祈りをする時、神を意識して祈りの言葉を唱えて、その後に匿名の人を意識して「匿名の人の状態が少しでも良くなりますように」の言葉を付け加えてそれらを時間をかけて繰り返して祈ることで神が私の祈りを知って神からの癒しのエネルギーが匿名の人がリラックスして心を静かにしている、眠っている時に入っていくのです。


 匿名は祈り療法を申し込んだ人を表しているのであり、サインであります。だから私は「私の祈り療法を試してみませんか」で匿名と申し込みの内容は「申込者の方は必ず、ご自身でお書きください」と注意事項として書いているのです。


 人は自分の姿・形、名前、生年月日が自分を表していると思っていますが、それはこの地上社会で分かりやすくしているだけで、分かりやすくしているのは人の中身が神のように分からないらです。サングラスをかけていようと、マスクをかけていようと、整形して顔を変えても、布団をかぶって全身を見えなくしていようが人には分からなくても神は中身をみて誰だか分っているのです。


 私は祈りによってマッサージ効果が顕著に現れる障害者の方しか祈ることはしませんが、例えば、障害者の方がサングラスをかけているとして、私が祈る時は「あの時、サングラスをかけた障害者の方の体の状態が少しでも良くなりますように」と祈れば癒しのエネルギーはその障害者の方に入っていきます。サングラスをかけている、かけてないは祈りにおいては関係なく、サングラスをかけていたことを言わずに「あの時、見かけた障害者の方の体の状態が少しでも良くなりますように」と祈っても癒しのエネルギーはサングラスをかけていた障害者の方に入っていきます。


 布団をかぶせられた障害者の方がいても、私が祈る時は「あの時、布団をかぶせられた障害者の方が少しでも良くなりますように」と祈れば癒しのエネルギーが入っていきますが、布団をかぶせられていたことを言わずに「あの時、見かけた障害者の方の体の状態が少しでも良くなりますように」と祈っても癒しのエネルギーは布団をかぶせられた障害者の方に入っていきます。


 神は私が誰に祈っているのか知っているのです。神が知っているから祈りができ、癒しのエネルギーが神から祈りの対象者の障害者の方に送られるのです。


 また、神に祈る時サングラスをかけた障害者の方や布団をかぶせられた障害者の方のイメージなどは使いません。イメージをすると右脳が働きますが、人の姿・形のイメージは邪魔になって祈りがうまくできない事があります。祈りで右脳を使っているのは祈りの言葉を唱えている時だけです。


 ある本に書いてあったことですが、(この地上の上に次元の違う諸々の天があることを証明することはできませんが)姿・形のある天では肉体がないため霊が姿・形を表しているため自由自在に姿・形を変えられるそうです。その天の人たちを神が知っていることは中身であり、その中身からどんな姿・形になっているのかを見るのです。


 あなたがやっていること、あなたが考えていること、全ての人が一方通行で神に知られているのです。人だけではなくすべてを知っているのです。過去も未来も人間はどうなっていくか知っているのです。神が存在するか、存在しないのかは双方通行できるようにならなければ誰にもわからないと思います。


 祈りは神と人との双方通行でありますが完全な双方通行ではなく初めの頃の双方通行です。完全な双方通行に向かって日々精進すれば一生掛かるか、一生掛けてもできないかもしれませんが神から来るデータによって予言するようになり、その人は超人になります。予言の情報は神から来るのであります。さらに精進して完全な双方通行になれば神と一体化して聖人となり神と同じになります。


 私の祈りは初めの頃の双方通行でありますが、普通の人でも祈りを一生懸命やることで眠気を通り越した時に他人のための祈りができるようになると初めの頃の双方通行の出始めの状態になります。その状態から祈りの効果があってもなくても他人のための祈りを多くやればやるほど初めの頃の双方通行は何十年と掛かりますが癒しの効果、癒し以上の効果があるものとなります。
      
     グロース・カワタ  著


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